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¥ 735

方丈記私記 (ちくま文庫)

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  • いまの時勢を透視する
    永年の自民・官僚制政権から民主鳩山政治主導政局に政権交代するも、守旧の検察・マスコミ挙げてのクーデター紛いのキャンペーンで国民が離れた時局を読み解くに相応しい。


¥ 945

定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫)

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  • 熊野古道、読んでから歩くか、歩いてから読むか
    紀州路、熊野街道では王子社の多くに明月記からの抜粋資料が掲示されています。 これを読みつつ足を進めるうちに、後鳥羽院の随員のひとりになったような気分になってきます。 藤原定家は、後年、正二位、権中納言まで出世し、後世には小倉百人一首を残し、現在もなお歌道の名家として残る冷泉家の祖としても名を残しました。
    しかし、その定家も後鳥羽院の熊野詣に随行したときには四十歳、ようやく前年に昇殿を許されたばかりです。自分の子どものような少将どもと混じり、情けなさに身の不運を嘆いたり、、院のわがままに振り回され、咳病など持病をおしての宮仕えの苦労もあるなど、800年前の官僚の日記が身近なものに思えてきます。文明は進んでも人間のやっていることというのは、たいして変わらないものだということをあらためて感じさせます。


¥ 525

時代の風音 (朝日文芸文庫)

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  • 博覧強記の二人と異才のコラボ
     堀田、司馬といった博覧強記の作家の二人に「書生」として宮崎がからむという構成。内容は哲学、文学、絵画、西洋と東洋、アニメそして歴史と内容は華麗に飛び跳ねる。20世紀末に行われた鼎談を21世紀初頭の今から読むと、彼らの恐るべき推察力、特にこの国の未来の姿をあらわす的確さに舌を巻く。宮崎アニメはほとんど見ているし、司馬の本もある程度読んでいるが、堀田は路上の人以外は読んでいない。楽しみがまた増えた。


¥ 460

めぐりあいし人びと (集英社文庫)

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  • コンチクショウメ

    堀田善衛って誰?ああ、森有正の亜流だね、と言っている人には納得のいくであろう本。

    それだけではもったいないので、『方丈記私記』『19階日本横町』『誰も不思議に思わない』『スペイン情熱の行方』など、堀田善衛のオリジナルにあたってくださるといいなあ、と思いますが。



    堀田善衛もまた、サルトルとも親交のあった“知識人”ではありますが、「サルトルはよく話を聞いてくれたが、ボーヴォワールは文法的に正しくないことを話すとどうしてもわかってくれない」といったことを、さらりと書くような気どらなさで、共産主義に傾倒した人で(岩波新書の古典『インドで考えたこと』などがその代表作でしょう)、左派知識人との交流があるのもそのため。

    廻船問屋の坊ちゃん、と言われて納得の、永井荷風的な粋な印象もありますが、「アラファト議長は血の汗を流している」といった政治的関心の強さ、切り口の鮮やかさが魅力の作家。

    非核運動を訴える大江健三郎に「ゴモットモなことはウットウシイ」と言い切るなど、頭でっかちな印象はなくて、スペインの酒場で一緒になったのんだくれも、ノーベル賞作家も、全く同じように情報源にしている感のある、ごく力の抜けた人です。


    というわけで、この本のはしゃぎすぎた雰囲気は、あまり堀田善衛らしくありません。それでもこの本の雰囲気がお好きな方には、東大仏文卒の端正さとクリスチャンとしての信仰を書き綴った、森有正とか、石原慎太郎の時事評論でもお読みになったらいいのではないでしょうか。

    この本にコンチクショウメ、と思われ、それでも、古本屋に行くのは面倒な怠け者は、荻野アンナなんかいかがでしょう。

    そして、単に“フランスのセレブとの交流”“ちょっと知的に”で読み始めるにしても、物を考えさせる余韻を残すのは、むしろ高卒の岸惠子さんのエッセイでしょうね。




¥ 1,155

定家明月記私抄 続篇 (ちくま学芸文庫)

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  • 日記を読む、ということ
    昔の人の日記ほど、当時の人間の考え方、価値観が生で伝わるものはない、といえるかもしれない。平安から鎌倉を生きた定家と我々21世紀の日本人の間に、死生観をはじめとする価値観の隔絶があるのは当然として、むしろ変わらないものというのは、親子の情なり儒教や仏教など大きな背景を通じた文明なりの、「やまと民族」という枠を超越した部分である気がしてならない。たとえば、当時の人々が和歌に託した思いや情感・思想を、我々がただ名目上同じ民族であるという事実だけで味わい読み取ることができるはずもなく、恐ろしいほどの知識の蓄積が、そこには求められるのだ。
    著者は藤原定家という当時の文化を代表する知識人の日記に対して、独特の距離をとる。「定家の日記の読み手である著者」の文章の読み手である本書の読者は一種の入子構造を目の当たりにするわけだが、そのことを意識させることがこの距離感の狙いであると受け取った。
    「それぞれの時代の文化は、それぞれの言葉に含まれた暗黙の信号を含むがゆえに文化なのである。文明は説明可能なものによって成る。」 至言であろう。


¥ 420

バルセローナにて (集英社文庫)

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  • 小説?
     1989年に出た単行本の文庫化。
     「アンドリン村にて」「グラナダにて」「バルセローナにて」の3本の短編小説が収められている。
     しかし、これは本当に小説なのか? 「グラナダにて」は、女王フアナの生涯をまとめた説明文、あとの2編は著者のスペインでの日常を描いているのだが、エッセイ・日記である『スペイン断章』や『オリーブの樹の蔭に』の文章と、まったく変わらないような気がするのである。
     さらに、以前の日記・エッセイに出てきた人物や出来事が、ほとんど姿を変えずに出てくるから、現実世界と見分けることが出来ない。
     そういうところを差し引いて、小説として鑑賞してみても、あまり面白いとは思えなかった。


¥ 880

ミシェル 城館の人 第二部 自然 理性 運命 (集英社文庫)

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  • 宗教戦争の中からヒューマニズムが生まれる
    ミシェルの時代はシャルル9世とカトリーヌ・ド・メデイシス、ギュイエンヌ公、ナバール公、マーゴなどの時代。自身の宗教感については言及しないで、沈黙するカトリック教徒。ラテン語でギリシャ、ローマの教養を身につけたモンテーニュ。フランス革命の論理を彼がこの16世紀の時代にすでに発していると。王室伺候侍従武官に任命され、パリの宮殿で君主や貴族達の生活を観察して、何も庶民と変わらない、むしろ、トイレまで観察されて大変だ、とか、妻と母から疎外されたり、性について自分を観察したり、ブラジル現地人に質問して同じ人間だと感じたり、深い思索というより日記的随想といえる。堀田善衛の解説は大変面白い。サン・バルテルミーの大虐殺への経緯など息もつかせず読ませる。この時代の人間の残虐さ、カトリーヌの人間性、何故モンテーニュができたのかなどの考察がフランス時代史/ヨーロッパ史と共に語られる。堀田の追求して止まない人間主義・自由と平和への系譜が分かる。


¥ 880

ミシェル 城館の人 第三部 精神の祝祭 (集英社文庫)

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  • モンテーニュの思想背景
    1580年、40歳代のミシェルはスイス、ドイツ、イタリアへと旅する。そこで宗教改革(新教と旧教の併存や現実)を観察、尿路結石などで激痛や発熱の中を、8−10時間も馬上の旅。帰国後は盗賊とペスト、戦乱の中を親族や領民をつれて餓えながら逃げ回る。彼はカトリーヌ・メディシス、ナバール公アンリの武官でもあり、相談や仲介に努力する。このような苦しい体験が彼の思想を鍛える。人々は宗教戦争、宗教裁判、混乱の中で、彼のやんわり書かれた人間肯定思想に共感してか、エセー本が発行されて売れる。「人間は不定で無常な存在である、自然は優しい公正な案内者である、病気も自然のうち、忍耐が足りないと身を滅ぼす、自身の幸福は自分の満足から生まれる」などの思想が生まれてくる。彼は神を信じていたのか?? 堀田の解説、堀田の思想、その言わんとするところをじっくり読んでみることをお薦めする。この時代の体験・観察者モンテーニュ、その時代史もとても面白い。

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